2001年4月1日


主を仰ぎ、共に前へ
          ヘブル12:1−2

私たちは先週も教会総会をもちました。
今年の標語は「主を仰ぎ共に前へ」というものです。

1、前進する教会
 私たちは昨年50周年を迎え、戦後東京聖書学院の再建と共にスタートした東京中央教会に神様が注いでくださった恵みを数え、感謝をいたしました。
 昔、神様が注いでくださった神様の恵みを思い出すことはとても大切なことです。 けれども私たちは昔を懐かしむのではなく、ここから前に進ませていただきたいと願っています。 モーセが死にヨシュアが立てられたときに彼らがしなければならなかったことは、ヨルダン川を渡って神様が約束しておられた地に進んでいくと言うことでした。
 ヨルダン川を渡るというのは勇気のいることだったはずです。 イスラエルの民は40年間、荒野にいたとはいえ、そこにはいつも主の守りがありましたし、マナもうずらも毎日与えられて、戦いも余り多くはなく、平穏無事で楽と言えば楽と言えたと思います。 ヨルダン川を渡ってしまったら、後戻りはできない。 マナも止んで自分で耕し、収穫を集めていかなければならない。戦いも多い。
 私たちも現状維持というのは大変居心地のいいことです。 ずっと同じメンバーで、ずっと同じ会堂で、ずっと同じように礼拝を守って帰っていく。 それで十分。 それは居心地のいいことなのです。 けれども私たちは自分の居心地の良い状態からこの年、一歩前に踏み出させていただきたい。 今年は前に進みましょう。 聖書を読んでいなかった人は聖書を読んで欲しい。 祈りをしていなかった人はお祈りをしてほしい。 奉仕をしていなかった人は奉仕を初めて欲しい。 月定献金をしていなかった人は初めて欲しい。 今まで証をしたことのない人、友達を誘ったことのない人は友達を誘って欲しい。 前に行くと言うことは、神の御心と知りながら、今までしていなかったことを神の恵みにすがって始めていくことでもあるのです。
 今年は私たちは前に行く。 ゴールを目指して前進する。 悪魔と正面切って戦っていきたいと思います。

2、共に歩む教会
 教会は信じるクリスチャン個人個人のたまたま集まった所ではありません。 主を救い主と告白し、洗礼を受けて教会に連なった者たちがクリスチャンなのです。 だから教会を抜きにしたらクリスチャンはない。 それは教会はキリストを頭とするキリストの体だからです。
 私たちは前に進みます。けれども私たちは一人ではありません。
@多くの天上の証人たちと共に
 ここまでに多くの主にある兄弟姉妹たちの歩みがありました。 私たちはそれらの兄弟姉妹たちからバトンを受けて、彼らの戦った戦いを継続していく。 彼らの戦いを完成していくのは私たちに与えられた務めなのです。
 歴史上の聖徒たちばかりではありません。 私たちの尊敬する○○兄も△△姉も偉かったと感心ばかりしていてはいけない。 彼らの歩んだ信仰の歩みを受け継いでいくのは私たちの務めです。
A兄弟姉妹と共に
 私たちは共に戦っていくのです。 誰一人ひとりぼっちにしてはいけません。 共に喜び、共に泣き、共に信仰の戦いを戦っていくのです。

それでは私たちが共に前に進むために大切なことは何なのだろうか。

3、主を仰ぐこと<目を離さず>
Let us keep our eyes fixed on Jesus
他のものに目を奪われずに、問題の大きさ・自分の足りなさ・未熟さ、そのようなものから目をそらして、しっかりとイエスを仰ぎ、このお方を見続けることです。
このお方は
@信仰の導き手<創始者>
 信仰の創始者はアブラハムではない。 ダビデでもない。 信仰の創始者・導き手はイエスです。 イエスは人としてこの世を歩み、人としてどのように信仰をもって歩みうるのかと言うことを証されたのです。
 私たちも自分で信仰を持ったとか、自分の信心深さのゆえに救われたのではない。 私を愛してくださったイエスの真実な信仰の歩みのゆえに救われたのです。
A信仰の完成者
 「あなたの信仰は完全ですか」と問われたら「とんでもない!」と正気な人なら首を振ることでしょう。 けれどもイエス様はその深い知恵と力のゆえに私たちの信仰を完成させてくださいます。 始めも終わりもイエス様がしっかり押さえていてくださるのです。

主を仰ぎ、このイエスの歩まれた足跡を踏みながら前に進んでいきましょう。

 

(4/1礼拝説教より)