2001年1月


覚悟を決めて
           ヨシュア1:1-9

あけましておめでとうございます。
年の初めに私たちはいろいろな決断をいたします。
新年とは気持ちを新たに何かをはじめるのにとても良い時なのです。

昨日の年末感謝礼拝で信仰の歩みは団体競技だとお話しました。
けれども同時にそれは日本的な意味で、個人の責任をあいまいにしてしまうものではありません。
神様は神に向かって心を全うしようとするものを捜し求めておられるのです。
そう言う意味でも
私たちはひとり神の前に、
また教会として、
気持ちを新しくして、
この一年も神様に仕えていきたいものです。

<ヨシュアの置かれた状況>
@モーセが死んだ。---だれがモーセの代わりができるだろう。
恐れがあった。おののきがあった。不安があった。孤独感があった。

Aこの民---イスラエルの民を彼は率いていかなければならない。
けれども、そのイスラエルの民は神様に「強情な民・かたくなな民」
がんこな聞き分けのない民との烙印(らくいん)を押され、あのモーセでさえも堪忍袋の緒が切れることがあったほどだ。 彼らは文句をいうことに関しては超一流で、不満・足りないことを探す才能と言ったら天才的。
そんな民を率いていかなければならない。
 えらくなりたい、リーダーになりたい人は大勢いても、あのイスラエルの民のリーダーと聞くと皆が知り込みする。
モーセのそばにいてモーセの苦悩を知っていたヨシュアとしては大きな恐れがあったに違いない。

Bこのヨルダン---そこにはヨルダン川がある。
確かにその川の向こうは豊かな地だ。
けれどもその川を渡ると背の高い民がいる。
自分たちが到底かないっこない高い文化を持った民族がいる。
普通に考えたら自分たちに勝ち目はない。
それが分からないわけではない。

私たちの迎える一年。これも決してやさしいものではないかもしれない。
あなたは孤独を感じることがあるかもしれない。
あなたは重荷を感じることがあるかもしれない。
あなたは戦いを感じることがあるかもしれない。

けれども神はヨシュアに雄雄しくあれ強くあれと語られました。

雄雄しくあってどうしろというのでしょうか。
そこには<二種類の戦い>があるといいます。

1、行け、踏め、獲させよ・・・具体的な敵(不信仰・サタン)との戦い

   あなたには後戻りはできない。先に進むしかないのだ。

 踏め---具体的に一つ一つ足で踏んでいく。
 いつのまにか自分のものになっているというのではない。
 ボッーとしていたらいつの間にか自分のものになっていたというのではない。
 私たちは信仰の歩みを踏んでいかなければならない。
 たといそれは大きな一歩でなかったとしても
 悔い改めの一歩、
 献身・服従の一歩、
 お言葉の一歩、
 祈りの一歩、
 奉仕の一歩、
 伝道の一歩・・・。
 いずれにしても具体的な一歩が必要なのです。

2、守れ、曲がるな、離すな、思え・・・御言葉にとどまるという戦い

 悪魔はあなたを御言葉から引き離し、
 御言葉を忘れさせ、
 御言葉から引き離そうとする。
 御言葉から離れると曲がってしまう。
 けれども神様の律法(それは神の御旨)を口から
 離してはいけない。御言葉といっしょに歩もう。

  この戦いにおいても神はヨシュアに御言葉を与えてくださいました。
ここに神のしてくださったこと---神(私)がしてくださることを見ることができます。

<神の御言葉>

1、私は約束した・誓った
 神は約束されたことを必ず守られる。
 私たちは都合が悪くなったり、気が変わったりするが、
 神の約束は決して実現せずに終わることはない。

2、私は共にいる・見放さない・見捨てない
 神は私たちがどこに行くときにも共に行ってくださる。
 モーセと共にいたように。
 この方ほど頼りになる存在はない。いや頼りになるのはこの方だけだ。

3、私が与えている
 勝利は決まっている。
 それは私たちのまじめさ、私たちの努力、私たちの才能によって決まるのではない。
 神はすでに勝利をとって大丈夫、あなたに私の勝利を与えるからと語ってくださる。

私が約束した、私が共にいる、私が与えるとおっしゃる方に信頼して
このあたらしい一年を歩み出そうではありませんか。

牧師 錦織 寛

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