聖書の神は語られるお方です。偶像の神々は語ることはありません。基本、私たちの祈りを黙って聞き、その祈りをかなえる役割を担っています。ですから、私たちが偶像に祈る時には、その祈りに答え、願いをかなえてくれる神がよい神であって、祈りをかなえてくれない神は他の神に差し替えられることになります。けれどもそのような偶像の神は、「神」と言うことができるのでしょうか。
私たちの神は私たちに語られるお方、黙っておられないお方です。そして私たちはまず、この神に聞くことを求められています。私たちがなすべきなのはどれだけ高価なささげものをどれだけたくさんするかということではありません。神は、心からの感謝を期待しておられます。その上で、主は私に「呼びかけよ」と語られます。主は求める者の叫びを必ず聞き、私たちを助け出してくださるからです。