私たちの生きる世界は、正しい人ばかりではありません。「悪しき者」「悪をなす者」がいます。そして、そういう人たちが成功し、栄えているように思える時があります。その上、悪しき者が正しい歩みをしようとする人を苦しめるのです。そんな中で、私たちは時に怒りを感じます。憤りを覚えることがあります。私たちはそれを正義の怒りとし、義憤と呼びます。すべての怒りが罪だとは思いません。ただ、私たちの怒りや憤りは、容易に罪につながってしまいます。自分を義とし、また相手を自分の基準で切り捨てることにもなりかねませんし、最初は、冷静であったものが、だんだん際限がなくなり、相手を罰することを快感とすることにもなりかねないからです。
ここで求められるのは、すべてのことを正しく成し遂げてくださる主に信頼することです。それは自分が仕切ろうとするのではなく、正しくことを行ってくださる主にお任せするということです。主はそんな私たちの歩みを確かなものにしてくださいます。