詩編2編1~12節

畏れつつ、主に仕えよ。
震えつつ、喜び躍れ。(11)

 この詩編はメシヤ預言の詩編とされています。そして、教会がスタートした時から、イスラエルの民が油注がれた方、メシアなる救い主を受け入れずに殺してしまったことを指し示している詩編として受け止められてきました(使徒四25~26)。おそらく、復活後、主イエスがそのようにこの詩編を解き明かされたのでしょう(ルカ二四44~46)。
 また主イエスの公生涯の間、バプテスマをお受けになった時、また山の上でその御姿が変わった時、天から聞こえた「これは私の愛する子」という声も、この詩編二編7節の言葉だとされています。神がやがて王としてのメシアを送ってくださる。しかし、人々はその神が遣わされたお方を拒んでしまう。けれども、このお方こそが神が立てられた救い主なのです。
 私たちはこのお方を畏れをもって礼拝し、またこのお方に仕えたいと思います。このお方を喜び歌いつつ讃えたいと思います。この二編は「幸いな者」という言葉で締めくくられます。一~二編は、つながっていて、御言葉に親しみ、メシアに信頼して生きることが幸いの源泉だと語るのです。