ヨブ記25章1~6節

人はどうして神に対し正しくありえようか。
女から生まれた者がどうして清くありえようか。(4)

 ヨブの三人の友人の二人目、シュア人ビルダドの三度目の発言が始まります。ヨブの三人の友人の発言はここまでです。ここでビルダドはヨブの苦しみがヨブの罪に対する神の報いであることを納得させ、ヨブを悔い改めに導く?ために、ますます拳に力を入れるようにして語ります。所詮は、人は神に対して正しくあり得ないのだ、清さを主張することなどできないし、要は神もそのようなことを人に期待しておられないのだと言うのです。
 このビルダドの言葉は神に対する大きな誤解です。神は人が正しく歩むことを期待しておられます。それは無理なこと、あり得ないことを求めておられるのではなく、私たちに正しさを、清さを求めておられる神は、人がそのように生きることができることを知っておられますし、人にそのような歩みをさせてくださるのです。
 人は確かに弱く、土の器かもしれません。しかし、神は人を虫けらのようにごらんになるのではありません。まさに神の御前で輝くことのできる者として造ってくださったのです。