ヨブにとって、友人たちが自分の苦難を聞いて駆けつけてくれたこと、またヨブの苦しみを聞いてヨブの横に座って一週間嘆きを共にしてくれたことは、この上もなく大きな慰めだったと思います。しかし、エリファズのこれまでの言葉はヨブをとても大きく傷つけることになりました。
エリファズは、ヨブの苦しみ、ヨブに臨んだ災厄をヨブの罪に対する神の罰だと言ったからです。しかし、ヨブにとって、自分に臨んだ様々な災いと共に、またおそらく、それ以上に彼を苦しめたのは、自分が神の御前に正しく歩んで来たにも関わらず、このような災いにあっているということだったのです。
ヨブを断罪するのはやさしいことだったかもしれません。しかしエリファズは友への慈しみを失っていました。ヨブの苦しみを本当の意味では理解できていなかったのです。その結果、エリファズは神に対する見方という意味でも大きなズレを抱えてしまったのでした。