捕囚の民の人々は最初は、主に祈ればすぐにでも、自分たちは救い出していただける、と思っていたでしょう。しかし、七十年の時が必要だということになると、主の民としてのアイデンティティを維持するということ自体も決してやさしいことではなかったはずです。そして、いざ、思いもしなかったような形で、バビロンの支配が終わってペルシアの時代になり、エルサレム帰還と神殿再建の命令が王から出されるといったことになった時、すぐにその呼びかけに応えることができたのは、主の約束を信じて備えていたからに他ならなかったでしょうし、また世代を超えて、そのような信仰と備えを受け継いでいくということがあったからでしょう。逆にそれができていなかった人たちはいざという時に、七十年という短い期間であったにもかかわらず、自分たちがイスラエルにつながる者であることを証明することができなかったのでした。