サムエルが、王を求める人々の中に見ていた、神に頼り、神に従うよりも、王にすがろうとする姿勢は、まさに王であるべき神を退ける姿でした。そこにはイスラエルの民の罪深さがあらわされていたと思います。しかし、主はイスラエルに王を与えられます。言って分からなければ、実際に体験してみるしかない。主はイスラエルの民が主を愛し、主に仕えることを学ぶためにも王を持つことを許されたのでしょう。そして、また主よりも、王を求めるイスラエルの民にあえて王を与え、人間的な罪深さを越えて、王を用いてイスラエルを救おうとされたのでした。
ただし、王は神が選び、立てられた存在であり、王自身が神を畏れ、神に従う者でなければなりませんでした。神はベニヤミン族の中からイスラエルの最初の王を選ばれました。主は、サムエルの前に不思議な仕方でサウルを導かれたのでした。