ハンナは主に祈って与えられたサムエルが乳離れするまで育った時、その子をシロに連れて行きました。シロに幕屋があり、主の箱が置かれていて、祭司エリを中心に礼拝がなされていたからです。ハンナたちが主を礼拝し、その子サムエルを主の御用をするためにエリのところに連れて行った時、ハンナは心から感謝して主に声を上げます。ハンナの賛歌の中には、悲壮感はありません。ただ主をあがめ、すばらしい主の御業を賛美しています。
ハンナにとってサムエルが与えられたということは主の大きな救いの御業でした。ハンナは決して、神に見捨てられた存在ではない。主はハンナの祈りを聞いて、ハンナの身にすばらしい主の業をあらわしてくださったからです。そして、そのハンナ個人に起こった主の救いの業は、まさにイスラエル全体にもたらされる主の救いを約束するものでもありました。ハンナはそういう意味でも、自分に、またイスラエルの民になされる主の御業を賛美するのです。