士師記3章1~6節

それは、戦いを経験したことのないイスラエルの世代に、戦い方を学ばせて経験させるため・・・主がモーセを通して先祖に命じられた主の戒めに聞き従うかどうかを知るために残された。(2~4)

 先住民たちの中で滅ぼされずに残った民があったのは、イスラエルの民が主に従わず、恐れにとらわれて、強い民、多くの武器を持つ民、攻めるのに困難のある堅固な高い城壁のある町々を攻め取ることをしなかったからです。そして、イスラエルの民は先住民たちと婚姻関係を結ぶようになり、偶像を拝むようになってしまったのです。
 ただこの聖書の箇所には、先住民が残されていたということの背後には単に彼らの不信仰のゆえということだけではなく、神の意図があったことが記されています。彼らが戦いを忘れないためであり、民が主の戒めに聞き従うかどうかを知るためでした。それは、民の不信仰から起こったことだったと思います。しかし、聖書は彼らの罪と不信仰の結果についても、主がそれらのことをご自身のご目的のためにお用いになったことを記します。すべてのことの背後にあって主権をもって働いておられるお方ががおられるのです。