ヨシュア記20章1~9節

血の復讐をする者が彼の後を追って来ても、人を殺した者をその者の手に引き渡してはならない。彼は過って自分の隣人を殺したのであって、以前からその人を憎んでいたわけではないからである。(5)

 ヨシュアは「逃れの町」を設定します。ヨルダン川の東側に三つ、西側に三つです。これは誤って人を殺してしまった人が、復讐する者によって正しい裁判を経ずに殺されてしまわないように逃げ込むことができる町でした。その町に逃げ込んだ人は復讐に燃える人に引き渡されることなく保護されました。その人は「以前からその人を憎んでいたのではないから」です。結果、一人の人の命を奪うことになってしまったことはとても重いことです。しかし、それが意図的になされたことか、過失であったかは違います。
 「憎しみ」が「憎悪」となり、「殺人」につながってしまうことがあります。その場合には、その罪は正しく裁かれなければなりません。そして、実は、殺していなかったとしても、人を憎むということは恐ろしいことです。もちろん、殺人を実際に犯すのとそうでないのとは同じではありませんが、人を憎む心から守られるように祈りたいと思います。