申命記34章1~12節

イスラエルには、再びモーセのような預言者は現れなかった。主が顔と顔を合わせて彼を選び出されたのは、彼をエジプトの地に遣わして、・・・あらゆるしるしと奇跡を行うためであり、・・・力強い手と大いなる恐るべき業を行うためであった。(10~12)

 モーセはヨルダン川を渡ることは許されませんでした。しかし、ヨルダン川の東側でピスガの頂に登り、主がイスラエルの民に約束された地を眺めることを許されます。私たちも、その地上の生涯の間には、主が約束しておられる祝福の全貌を経験することはできないでしょう。しかし、これからも主はさらにこの国に、教会に、私たちの次の世代のために大きな祝福を備えてくださっています。そして私たちは信仰によって、その主が計画し、与えようとしてくださっている豊かな恵みの世界をはるかに臨み見ながら、短い自分の一生を終えていくのだろうと思います。
 モーセのような預言者はその後、現れませんでした。モーセは、イスラエルをエジプトから救い出すという特別な働きの中で用いられた無二の存在だったということもでもあるのですが、それ以上に、主が顔と顔を合わせて選び、知られた存在だったという意味でも特別でした。しかし、私たちはやがてモーセよりももっと親しく主を知らせていただくのです。