神はここで祝福と呪いをイスラエルの民の前に置かれました。神が願っておられたのは、彼らが主に聞き従い、命と祝福に生きることでした。ただ実際には、彼らの歴史の現実としては、彼らは主に聞き従うことをせず、大胆に主に背いて、この契約の中で語られた呪いが彼らの国に臨むということが起こりました。しかし、主はイスラエルがその背きのゆえに滅んでしまえばよいと思っておられたわけではありません。主が願っておられたのは、たとい彼らの不従順のゆえに災いが臨むことがあったとしても、彼らが主に立ち帰って、心を尽くし、魂を尽くして、主を愛し、仕えるようになることでした。主は彼らの心に割礼を施し、神の民としてのしるしを刻んで、彼らの上に再び祝福を注ぐことを願っておられたのです。主は私たちを喜びとし、良いものを与えたいと思っておられます。主は私たちを見捨てることはありません。私たちが悔い改めて命に生きることを求め、期待しておられるのです。