申命記17章1~20節

王座に着いたら、レビ人である祭司のもとにある書き物に基づいて、律法の書を書き写し、傍らに置いて、生涯、これを読みなさい。それは、王が自分の神、主を畏れ、この律法の言葉と掟をすべて守り行うことを学ぶため・・・(18~19)

 裁判について、また王についての教えが記されています。正しい裁きがなされるためには二人、または三人の証人が必要とされ、その証言が一致しなければなりませんでした。そして証人たちは自分の言葉に対して責任を負わなければなりませんでした。
 イスラエルにおいては、まだ王はいません。神の言葉を聞いて、民を指導する者はいたのですが、まさに、イスラエルにおいては、主が王であられたからでもあります。しかし、モーセは民がやがて王を求めるようになるであろうことを予測しています。そしてその事は数百年後、サムエルの時代に実現し、初代の王としてサウル、第二代の王としてダビデが立てられます。しかし、もし王が立てられるときには、王は馬や武器をそろえることで国を強くしようとか、財宝を集め、自分の豊かさを誇ろうとかしてはなりませんでした。王は律法の書を読み、主を畏れ、律法に従って生きなければならなかったのです。