申命記8章1~10節

そしてあなたを苦しめ、飢えさせ、あなたもその先祖も知らなかったマナを食べさせられた。人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きるということを、あなたに知らせるためであった。(3)

 イスラエルの民は神が約束しておられた祝福の地に入って行こうとしていました。モーセはそのような中で、目の前にいる民に、四十年間の荒れ野の歩みを忘れることがないようにと語ります。荒れ野の歩みは決して楽ではなかったでしょうし、また豊かで贅沢な歩みができたわけではなかったでしょう。苦しみや疲れ、飢えや渇きを経験することもありました。しかし、そのような中で、主はイスラエルの民をそれまで誰も見たことも味わったこともなかったマナをもって養われたのでした。それは単に、彼らが肉体的に生きることができるようにというだけではありません。マナは天からイスラエルの民のために与えられた特別な食物で、それは毎朝与えられたというだけでなく、安息日の前日には二日分のマナが与えられました。マナを日々食べることによって、イスラエルの民は神の御真実を経験し、単に口からマナを食べるというだけでなく、主の言葉によって生かされるということを経験していったのです。