神はイスラエルの民がエジプトを出たとき、シナイ山において、掟と法を与えられました。それは主によってあがなわれた聖なる民であるイスラエルが、どのように歩んで、神の栄光をあらわすべきなのかを示すものでもありました。まさにこの掟と法を守り、それに従って生きることが分別でした。そしてそのような生き方をイスラエルの民がすることが、周辺の国々とっても証しとなったのです。
主は、イスラエルの民に歩むべき道を示し、また民の叫び求める声を聞いてくださるお方です。モーセは「主は、私たちがいつ呼びかけても近くにいてくださる」と言います。主は私たちが祈る時、いつも近くにいて、私たちの祈りを聞いてくださるお方です。イスラエルの民を「大いなる国民」とするのは、彼らの優秀さや強さではありません。「このような神」がいてくださる、「このような神」を神としてあがめて歩む、そこにイスラエルの民のあるべき姿があったのです。