祭司たちが聖なる者としてあるべきことが語られています。また祭司の家族も聖なる者としての自覚と実践が求められていました。死者を葬ることについても、祭服を着て仕える祭司は、自分の肉親であっても、身を汚すことは許されていませんでした。また結婚相手についても、結婚経験のある女性や遊女ではなく、同族の処女でなければなりませんでした。主に仕える者としての姿勢がその生活の様々なところで問われていたとも言えます。
この主に仕える祭司に聖なる者であることが求められていることとの関連の中で、確かに牧師をはじめとする教会の働き手に対してある意味での高い自覚が問われていることは事実でしょう。ただ今日、すべてのキリスト者が祭司としての務めを与えられているという意味では、この聖さはすべてのキリスト者に求められているとも言えます。聖なる主に仕える者として、主の十字架の血潮に日々清められつつ、筋の通った歩みをさせていただきたいと思います。