レビ記5章1~26節

これらの一つに対して罪責ある者となるなら、違反したことについて告白し、その過失のために、羊の群れから雌羊か毛の長い雌山羊を主への清めのいけにえとして引いて行かなければならない。祭司はその人のために過失の贖いをする。(5~6)

 私たちが意図的に犯してしまう罪と共に、そのつもりはなかったのだけれど、罪とか汚れに巻き込まれてしまうことがあります。たとえば、動物の死骸に触れてしまう、誓っていたけれども、それが守れなくなってしまった、またはうっかりそのいことを忘れてしまった・・・確かにそれらは意図的ではないかもしれません。そして神は私たちの意図を問題になさる方でもあります。しかし、同時に、知らずにしてしまったからよいとか、悪意がなかったから赦されるということではないでしょう。
 私たちは知らず知らずの内に人を傷つけてしまったり、神のご意志に沿わないことをしてしまうことがあるものです。それはどうでもよいということではなく、そのような場合にも償いのそなえもの(または、「代償のそなえもの」「愆祭(けんさい)」)をささげることが求められていました。そして、主イエスの十字架はそこにも届くのです。