私たちが意図的に犯してしまう罪と共に、そのつもりはなかったのだけれど、罪とか汚れに巻き込まれてしまうことがあります。たとえば、動物の死骸に触れてしまう、誓っていたけれども、それが守れなくなってしまった、またはうっかりそのいことを忘れてしまった・・・確かにそれらは意図的ではないかもしれません。そして神は私たちの意図を問題になさる方でもあります。しかし、同時に、知らずにしてしまったからよいとか、悪意がなかったから赦されるということではないでしょう。
私たちは知らず知らずの内に人を傷つけてしまったり、神のご意志に沿わないことをしてしまうことがあるものです。それはどうでもよいということではなく、そのような場合にも償いのそなえもの(または、「代償のそなえもの」「愆祭(けんさい)」)をささげることが求められていました。そして、主イエスの十字架はそこにも届くのです。