四章で扱われるのは、清めのいけにえです。口語訳聖書では「罪祭」と訳されていました。戒めを破り、主がしてはならないと言われていたことをしてしまった場合に、どのように清めがなされるのでしょうか。焼き尽くすいけにえでも、会食のいけにえでもそうなのですが、神に近づき、神を礼拝するためには、いけにえがささげられ、動物の血が流されなければなりませんでした。
祭司が罪を犯した場合、全会衆が罪を犯した場合、民を導く者が罪を犯した場合、地の民の一人が罪を犯した場合、と綴られているのですが、責任ある立場にある人はなおさら大きな責めを負うことになっていることが分かります。
私たちにとって、罪の清められる道が開かれているというのは大きな慰めです。民の罪の赦しのために注がれた動物の血は、やがて主イエスが十字架の上で流されるその尊い血潮を指し示すものでもありました。