出エジプト記36章1~38節

手持ちの材料はすべての作業を行うのに十分であり、余るほどであった。(7)

 人々は幕屋の建築や、祭服の制作のために、自分たちの持っているよいものを主の御許に持ってきました。あまりにも多くのものがささげられたので、ささげものを受け取るのに職人たちが多くの時間を取られるようになりましたし、また材料としてはもうこれ以上必要ないというほど多くのものが与えられたのでした。うれしい悲鳴ということでしょう。モーセがもう十分だとストップをかけなければならないほどでした。イスラエルの民の中に、自分もこの働きに加わりたい、また自分もささげものに参加したいという思いが溢れていたのでしょう。
 材料がそろい、神に知恵と賜物を与えられた人たちは幕屋の制作にとりかかかります。それは決して易しい作業ではなかっただろうと思います。また、チームでこれに当たるというのも違った意味での難しさがあったに違いありません。しかし、彼らは主に立てられたリーダーシップの中で、心を合わせて幕屋の建築に当たります。主の力、その助けなしにはできないことだったでしょう。