ヨセフの兄弟たち、そしてヨセフの父ヤコブはファラオの前に出ることを許されます。この時、ヤコブはすでに百三十歳になっていました。実に波瀾万丈の労苦に満ちた生涯でした。聖書協会共同訳で「労苦に満ち」と訳されている言葉は、口語訳聖書では「ふしあわせで」と訳されています。確かに苦労が多かったと思いますし、エジプトの王ファラオの前で、謙遜になって控えめの言い方をしたということもあるでしょうけれども、実際、それはイスラエルの正直な気持ちだったと思います。
しかし、ここでイスラエルはファラオを祝福します。主なる神はアブラハムにご自身をあらわして、祝福の約束を与えられました。それは単にアブラハムとその子孫が神によって祝福されるというだけでなく、アブラハムが世界中の民を祝福し、アブラハムを通して神の祝福が世界中に注がれていくということでした。すっかり歳をとったイスラエルが大国エジプトのファラオを祝福したように、私たちも世界のために祝福を祈りたいと思います。