ヨハネ10章

私が来たのは、羊が命を得るため、しかも豊かに得るためである。私は良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。(10~11)

 「私は・・・である」という言い方がヨハネによる福音書には七つあります。すでに六章で「私は命のパンである」、八章で「私は世の光である」が出てきました。この章には「私は門である」(9)、「私は良い羊飼いである」(11)が出てきます。イスラエルがカナンの地に定住する前には遊牧民として家畜を飼っていましたし、またイスラエルの第二代の王となったダビデは羊の世話をしていました。ここではイエスさまが羊飼い、私たちがその羊にたとえられています。ここで、主イエスは、私こそがまさにその「よい羊飼い」なのだとおっしゃったのです。他の人と比較してどうこうではなく、絶対的で究極の、唯一無二の「良い羊飼い」。羊の名を知り、名を呼び、敵から体を張って守り、よいものを与えて養う。まさに命を捨てて羊を救う羊飼いであり、この羊飼いについて行く時、羊は生きていくことができる、ただなんとなく、やっと生きているということではなく豊かな命に生きることができるのです。