マタイ25章

主人は言った。『よくやった。良い忠実な僕だ。お前は僅かなものに忠実だったから、多くのものを任せよう。主人の祝宴に入りなさい。』(23)

 二五章には三つのたとえが記されています。いずれも、主の再臨の時を持ち望みつつ生きるとはどういうことかを教えるものです。二四章45節に「忠実で賢い僕」と言う言葉がありますが、二五章にある最初のたとえは賢いということ、第二のたとえは忠実ということを教えています。
 1タラントンは六千デナリオンです。成人男子が肉体労働をして得ることができる二十年分の給料にあたります。その意味では1タラントンもとても大きなお金です。主人がどれだけこの三人の僕を信用していたか、期待していたかを想像することができるでしょう。それは私たちの感覚から言ったら、決してわずかではありません。しかしこの主人にとっては「わずか」だったのでしょう。要は、主人に委ねられているそのよいものをどのように生かして用いるかということであり、どれだけの結果を残したかということではなく、どれだけ忠実であったかが問われたのです。