ゼカリヤ11章

私は二本の杖を取り、一本を「好意」と名付け、もう一本を「一致」と名付けて、その羊の群れを育てた。(7)

 イスラエルの真の牧者は主ご自身です。主は彼らの牧者として、彼らを導き、養おうとされました。しかし、彼らは、牧者である主を捨てます。そして彼らは偽りの牧者たちに身をゆだねることになります。そしてイスラエルの民の運命は「屠られる」という結末に向かっていくのです。主は「好意」という杖と「一致」という杖を持っておられました。しかし、イスラエルが主に背き続けた結果「好意」という杖は折られてしまいます。主の「好意」から離れてしまったイスラエルは「一致」をも失い、北王国イスラエルと南王国ユダの関係が壊れてしまうのです。
 私たちの一致の源泉は、まさに主の愛といつくしみの中にとどまっているということにあります。主にとどまっているときに、私たちは一つになることができるのです。羊を飼う者に支払われた対価は銀三十シェケルでした。主イエスを売り渡すために支払われた対価を象徴する預言の言葉でもありました。