エゼキエル41章

彼が内部の長さを測ると二十アンマであり、幅は外陣の前面で二十アンマであった。彼は私に「これが至聖所である」と言った。(4)

 エルサレムの神殿の中心は聖所でした。しかし、聖所の奥には至聖所という部屋がありました。そして至聖所と手前の部屋とは幕で仕切られていて、その奥の間にはめったなことでは入ることはできませんでした。王であってもそこには入ることが許されません。一年に一度、大祭司が罪の贖いのための小牛の血を携えて、そこに入って、国のため、民のためにとりなしをしたのです。
 エゼキエルは祭司の家系に生まれていました。その意味では、至聖所で奉仕をするというのはうらやましい夢だったかもしれません。しかし、エルサレムは陥落し、神殿は破壊され、エゼキエルは捕囚の地にあります。けれども主は幻の中で、彼を神殿に導き、また至聖所の中にも導いてくださいました。まさに、主を礼拝する場所としての神殿、その中でも主の臨在の中心であった至聖所がそこにある。調和の取れた聖所・至聖所の幻を見ながら、エゼキエルは主の憐れみを思い、また新たな希望を与えられたことでしょう。