エゼキエル35章

それは、あなたが『これら二つの国民、二つの地は私のもの、我々がそれを所有する』と言ったからである。しかしそこに主がおられた。(10)

 セイルの山に対する裁きが語られます。セイルの地はエドム族(ヤコブの兄エサウの子孫)が住んでいた土地です。エドムの人々はイスラエルがバビロンによって征服され、エルサレムが廃墟となり、またイスラエルの民が捕囚として連れて行かれた時に、そのことを喜び、イスラエルの民をあざ笑いました。そして、イスラエルが滅びる中で、火事場泥棒のように、イスラエルに侵略し、イスラエルの地は自分の土地だと言ったのでした。
 確かにイスラエルは滅びました。しかし、それは彼らが自分たちの神である主を捨て、罪を犯したからです。それは主の裁きでした。しかし、その裁きは民を悔い改めに導こうとする主の憐れみでもありました。そして主はイスラエルを回復することを決めておられました。セイルの人々は勝ち誇り、あざ笑ったでしょう。「しかしそこに主がおられた」とあるように、主は、その地を、ご自身の民を救おうとしておられたのです。