エゼキエル17章

私は高い杉の梢を取って植え、その柔らかな若枝の先を摘み取って、高くそびえる山に植える。私がそれをイスラエルの高い山に植えると・・・見事な杉になる。・・・翼を持つものはすべて、その枝の陰に住むようになる。(22~23)

 二羽の鷲のたとえが語られます。最初の大鷲はバビロンです。バビロンはぶどうの木の梢を摘み取り、それを別の地に植え、その支配下に置きます。ところがそこにもう一羽の大鷲が登場します。この後から登場する大鷲はエジプトを指しています。ぶどうの木はエジプトにこびを売り、エジプトの庇護の下に生き延びようとします。しかし、最初の鷲は、このぶどうの木を抜き去り、ぶどうの木は枯れてしまいます。
 イスラエルは、罪を犯したために、バビロンに捕囚になりました。その罪に向き合うことなく、エジプトにすがるのは、全く救いにならないのです。
 しかし、神はバビロンに移し植えられた捕囚の民の中からエルサレムに再移植するように、帰還し、再び栄えさせるという回復の預言をも与えられます。神は裁きの向こうにも赦しと回復とを用意しておられました。神はどこまでも真実で憐れみに満ちたお方なのです。