エゼキエル10章

そして、主の栄光が神殿の敷居の上から出て、ケルビムの上にとどまった。(18)

 ソロモンがエルサレムの神殿を建てた時、その奉献式の時に、主の栄光が宮に満ちたとい聖書は言います。しかし、ここでエゼキエルが見ているのは、主の栄光がミヤを離れていく恐ろしい状景です。主の栄光は神殿の敷居に向かい、そこから出ていったのでした。
 ソロモンは巨万の富を費やして、その神殿を建てました。いろいろなこともありましたが、それでもこのエルサレムの神殿は四百年にわたって、イスラエルの国を支えてきました。神殿はまさに主の臨在の象徴でした。しかし、もしその神殿から主の栄光が去ってしまったら、それがどんなに大きな建物で、また過去にどのような栄光の歴史があったとしても、ただの箱にすぎません。
 教会の内に、また私たち一人一人の内に、主は住んでくださいます。主の栄光があふれ、主の御臨在が私たちを通して現されますように。もし、欠けていたとしたら、私たちは何と悲しいことでしょうか。主は、どこにおられるでしょうか。