哀歌2章

立って、夜回りの始まる時に叫べ。主の前で、心を水のように注ぎ出せ。幼子たちの命のために主に向かって両手を上げよ。彼らは街角の至るところで飢えで弱り果てているのだ。(19)

 エルサレムはまさに「麗しさの極み・全地の喜び」と呼ばれていた都です。しかし、その都が廃墟となり、主の聖所で祭司や預言者たちが殺害され、子どもも若者もおとめも老人も容赦なく殺害されました。幼子や乳飲み子が弱り果てて、母の懐で死んでいきます。中には自分の産んだ子を母親が食べるということさえ、起こっていました。
 この哀歌の記者はそのような悲惨な状況を見ながら主に向かって両手を上げ、また共に主に叫び祈るようにと読者を招きます。夜回りの始まる時というのは、単に夜の最初の夜回りだけでなく、交替して新しい夜回りが仕事を始める時も含まれていて、夜の間ずっとということでもあると言われます。主の前で心を注ぎ出して、幼子の命のために祈る。幼な子たちが飢えて息絶えようとしているのに、自分にはどうすることもできないからです。私たちも人々のために、子どもたちのために祈りたいと思います。