エレミヤ51章

イスラエルとユダは、その神、万軍の主に見捨てられてはいない。彼らの地がイスラエルの聖なる方に背いて、罪に満ちてはいても。(5)

 エレミヤが、エルサレムの都に対する主の裁きを語った時、人々はエレミヤの言葉に耳を閉ざし、悔い改めようとはしませんでした。バビロンに対する勝利を語る人々は一見信仰的であるように思えたかもしれません。しかし、彼らは悔い改め抜きの救いを語っていました。そしてそのメッセージは、神からのものではなく、ただただ人々の期待に添ったものでした。
 エレミヤの預言はバビロンサイドから言うと、バビロンへの降伏を勧めるものでしたから、非常に好ましいものであり、またバビロンサイドに立って発言していると考えたかもしれません。しかし、エレミヤは同時に、ベビロンの滅びをも語ります。バビロンが廃墟になるなど誰も考えなかったことでしょう。しかし、エレミヤは、誰にも媚びることなく、正直に主の言葉を語りました。エレミヤはここで、バビロンの滅びと、イスラエルの回復を語ります。イスラエルは見捨てられてはいなかったのです。