エレミヤ10章

主よ、私は知っています。
人間の道はその人自身のものではなく
歩く者が自分自身の足取りを
確かにすることもできないことを。(23)

 イスラエルの民が偶像礼拝に引かれるのは、エレミヤの時代が初めてではありません。十戒を与えられ、主に従うという告白をした直後に、イスラエルの民は金の小牛を作って、それを拝みました。カナンの地に入ってからはなおさらのことです。豊かな雨をもたらし、収獲をもたらす神々を彼らはカナンの先住民から学びましたし、また周辺の力ある国々の偶像はすぐにイスラエルでも採用されました。偶像は人間の欲望・願望を写すものです。人々は偶像の神々に自分の願いを祈ります。しかし、実際には偶像は見ることも聞くことも自分で動くこともできません。偶像は人間が造ったものであり、そこには命がありません。エレミヤは「きゅうり畑のかかし」とさえ言います。全地全能で、世界を造られた神をそのような偶像と取り替えるのはとても愚かなことです。私たちは、私たちを造り、私たちの足取りを確かにしてくださる主に信頼して歩みたいと思います。