イザヤ61章

主なる神の霊が私に臨んだ。主が私に油を注いだからである。苦しむ人に良い知らせを伝えるため、主が私を遣わされた。心の打ち砕かれた人を包み、捕らわれ人に自由を、つながれている人に解放を告げるために。(1)

 主イエスが来られた時、故郷のナザレの会堂でこの聖書の言葉を開いて、このイザヤ書の預言が、ご自身の到来によって実現したことを宣言されました。主イエスはまさに「苦しむ人」「心の打ち砕かれた人」「捕らわれ人」「つながれている人」に救いをもたらすために来てくださいました。自分は神からも見捨てられている、もはや自分には救いはない、と思っていた人たちが、主イエスと出会ったときに、神のいつくしみと恵み、そのもたらしてくださる救いを見たのです。
 みじめで滅びを覚悟していた者たちが、主に救いの衣を着せていただいて、花婿のように、花嫁のように着飾らせていただき、大いに喜び、喜び踊る、そのような世界に入れていただくのです。
 イスラエルの回復だけではありません。罪の中に死んでいた私たちが罪赦され、命を与えられたということは、まさにこのような大きな喜びの中に入れていただいたということなのです。