イザヤ32章

しかし、ついに、高き所から、霊が私たちの上に注がれる。すると、荒れ野は果樹園となり、果樹園は森と見なされる。(15)

 イザヤは正義によって統治する一人の王について語ります。このお方は、すぐれた高官たちと共に世を治めます。彼らは人々が実を寄せる隠れ場、乾いた地にある水路、荒れ果てた地の岩陰のようになって人々を癒し、潤し、守ります。人々は見るべきものを見、聞くべきことを聞き、語るべきことを語るようになります。これはまさにやがて来られる王なるメシア、主イエスのことを指しています。
 イザヤはまた神を求めることをせず、気ままに生きて、それをよしとしている女たちについて語ります。事態は決してそんなにのんきでよいものではありません。滅びや荒廃が迫っているからです。イザヤは滅びがもはや避けられないものであることも理解しています。
 しかし、同時に、彼は終末的な救いについて語ります。「ついに、高き所から、霊が私たちの上に注がれる。」そして、正義と平和がもたらされるのです。