イザヤ25章

その日には、人は言う、見よ、この方こそ私たちの神。私たちはこの方を待ち望んでいた。この方は私たちを救ってくださる。この方こそ私たちが待ち望んでいた主。その救いに喜び躍ろう。(9)

 預言者イザヤは心から主を賛美します。どんなに大きく繁栄を極めた町々も、やがて滅んでいき、その偉大な王の栄光をあらわした町々は廃墟となり、瓦礫となります。それらの大きな強い国も皆、主の御手の中にあり、主のご計画の中にあって、栄えたり、滅んだりするのです。主は必ず正しい裁きを行ってくださいます。
 イザヤは自分が仕えている南ユダ王国もやがて滅んでいくことを知っています。しかし同時に、イザヤは主が弱い民・苦難の中にある貧しい者を憐れんでくださること、また主にすがる者たちの顔から涙を拭い、慰めてくださることを知っているのです。確かにエルサレムはその背きの罪のゆえに廃墟になるでしょう。しかし、主が再び救いをもたらし、「この山」で祝宴をもたらしてくださる、主がその名を置かれた都がまた喜びと賛美にあふれた場所となる。イザヤはそのことをしてくださる救い主なる神をあがめるのです。