イザヤ17章

その日には、人は造り主を仰ぎ、その目はイスラエルの聖なる方を見る。(7)

 ダマスコとは、アラムの首都であり、今で言うシリアの大都市です。アラムも、イザヤの時代には、アッシリアやエジプトほどではなかったとしても、中堅国家であり、歴史的にもしばしばイスラエルを苦しめてきた国でした。アラムは、エフライム族を中心とする北イスラエル王国(首都はサマリア)と同盟を組んでエルサレムに攻めて来ようとしていました。しかし、その企みは失敗し、ダマスコもサマリアもアッシリアに攻め滅ぼされてしまいます。
 しかし、だからと言って、南ユダ王国が誠実な歩みをしていたということではありません。彼らは「救いの神」「自分の砦である岩」を忘れ去ったのです。ヤコブの栄光は痩せ細り、消えようとしていました。
 ここでは「その日」という言葉が繰り返されます。その日は、神の裁きが臨む日です。しかし、もう一つの「その日」がありました。それは人々が造り主を仰ぎ、聖なるお方を仰ぎ見る日です。主は裁きと共に、救いと回復を計画しておられたのです。