イザヤ6章

私は言った。「ああ、災いだ。私は汚れた唇の者、私は汚れた唇の民の中に住んでいる者。しかも、私の目は、王である万軍の主を見てしまったのだ。」(5)

 ウジヤ王はとても有能な王であり、主を畏れ、国を正しく導いた王でした。そしてウジヤ王の治世の中で、国は栄え、また国力も強くなりました。しかし、その絶頂期に、彼は高慢になり、主に打たれて、病に倒れて死んでいきました。ウジヤの死ということは南王国ユダにとって大きな衝撃であったはずです。
 しかし、イザヤは高く上げられた玉座に主が座しておられ、その裾が聖所を満たしているのを見たのでした。六つの翼を持ったセラフィムが呼び交わしながら「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな」と主を賛美しています。
 聖なる神の御前に出た時、イザヤは「ああ、災いだ。私は唇の汚れた者」と叫んだのでした。人々の罪深さを嘆いてきたイザヤでしたが、自分の真の姿を見たときに、まず主の憐れみ、そのきよめの御業を必要としているのは自分自身であることを認めざるを得なかったのです。そして主はそんなイザヤをきよめてくださったのでした。