イザヤ5章

彼は畑を掘り起こし、石を取り除き、良いぶどうを植えた。また、畑の中央に見張りのやぐらを建て、搾り場を掘った。彼は良いぶどうが実るのを待ち望んだ。しかし、実ったのは酸っぱいぶどうであった。(3)

 ぶどうはイスラエルの地を代表する農産物の一つで、ぶどう酒にされ、乾燥した気候が続くイスラエルにおいては貴重な水分補給のために日常的に用いられました。そして、イスラエル民族はしばしばぶどうにたとえられました。
 良いぶどうを収穫するためには準備が大切です。土を堀り起こし、肥料をやり、良いぶどうの苗を植えるのです。そして心血を注いで、そのぶどうを育てたら、当然良いぶどうを結ぶものです。ところが主が農夫として最大限の世話をし、その収穫のために準備をして楽しみにその時を待っていたのに、酸っぱいぶどうしかならなかったと言うのです。それはまさに主の愛の中で育てられたにもかかわらず、主に背き、罪を犯し続けるイスラエルの姿を語るものです。それはおかしなこと、本来あり得ないことでした。イザヤは大きな嘆きを持ちながら主の言葉を人々に語ったのです。