イザヤ3章

正しき者は幸いだと言え。
彼らはその業の結ぶ実を食べることができる。(10)

 イスラエルの人々はいろいろな頼みとするものがありました。富や軍備を頼りにすることもありましたし、また優秀な人材を頼みとすることもありました。しかし、本来はイスラエルはそういったものや人ではなく、主に寄り頼むべきでした。ですから主は、イスラエルが頼りにしていたものを取り去ってしまわれます。その中で、何が本当に頼りになるものであり、頼りにすべきものかということに気づいて欲しかったのでしょう。
 イスラエルの罪のゆえに危機が迫っていました。しかし、エルサレムの若い女性たちは自分の美しさを誇り、多くの宝石を身につけ、豪華な衣服を身にまとって、高ぶって歩んでいました。しかし、そういったみせかけで表面的な美しさはやがて剥ぎ取られる日が来るのです。
 善と悪が入れ替わってしまうようでは国は立ちゆきません。どんなに悪しき者が栄えているように見えたとしても、最後までの残るのは、正しい者です。主の御前に正しく歩む者を主は支えてくださるからです。