イザヤ2章

多くの民は来て言う。「さあ、主の山、ヤコブの神の家に登ろう。主はその道を私たちに示してくださる。私たちはその道を歩もう」と。教えはシオンから、主の言葉はエルサレムから出るからだ。(3)

 イスラエルの罪がとても重く、大きなものであるのを見ながら、イザヤは終わりの日の救いについて語ります。「終わり日」「その日」と言われる特別な日は歴史の完成の時です。そしてその日は主が全地に正しい裁きを行われる日です。その意味では「終わりの日」というのはとても恐ろしい審判の日でもあります。しかし、その日は、主を畏れ信頼する者にとってはすばらしい救いが成就する日でもあります。
 そして、その日、その山で主の栄光が、その救いが、あらわされます。ここで「山」と呼ばれるのは、エルサレムのことです。エルサレムは山の上の町で、そこに主の名が永遠に置かれています。それは地上のエルサレムが自動的に祝福されてということではありません。エルサレムはやがて廃墟になろうとしていました。しかし、そのエルサレムから世界に主の言葉が響き渡るのです。それはまさにエルサレムで起こった十字架・復活の恵みを指し示しているとも言えます。