箴言8章

私を見いだす人は命を見いだし
主からの喜びにあずかる。(35)

 この箴言八章では、12節以降で知恵が一人称「私」という言葉で語り出します。知恵を人格をもった存在として描いているのです。知恵は神の創造の初め、まだ何もないときに最初に生み出され、創造の御業を共に見つめていました。まさに知恵はすべての被造物を支えている土台とも言えます。
 そしてこの知恵は力を持っています。知恵は適切な助言と洞察を与えるからです。王の力はまさに、王のそばにどのような助言者、アドバイザー、策士がいるかで決まりました。また知恵は富と誉れをもたらします。時に、自分の欲望のままに、様々な策略を巡らして、他者の富をだまし取ろうとする人もいるでしょう。しかし、ここで知恵がもたらす富と誉れは、清く、また主に喜ばれるものです。
 ここで人格化された知恵は、主イエスを指し示しているという解釈もあります。主イエスのうちには知恵と知識の宝があるとパウロも言いました(コロサイ二3)。主イエスを求め、その知恵によって生かしていただきたいと思います。