詩編144編

主よ、人とは何者なのか
あなたがこれを知るとは。
人の子とは何者なのか
あなたがこれを思いやるとは。(3)

 主を神とし、主をたたえつつ歩む民は何と幸いなことでしょうか。私たちはそもそも、主の前に立つことができるようなものではありません。私たちは余りに小さく弱いものです。そうでありながら私たちはしばしば主に背き、その聖なる御名を汚します。私たちは本来、主に近づくことなどできないものですし、主に覚えていただけるようなものではありません。しかし、にもかかわらず、主は私たちを御心にとめ、私たちを知っていてくださいます。そのことを思うと、私たちは驚き、怪しむような思いになります。主の慈しみはあまりにも大きいので、私たちはそれを受けとめきれないし、理解することができないのです。主はこのような私たちを守り、すべての必要を備え、大きな祝福を与え、また私たちに戦うことを教えて、勝利の道を歩ませてくださいます。そして主はかつてシナイ山に下って、律法を与えられたように、主ご自身が下って私たちのために救いの道を開いてくださったのです。