詩編131編

私は魂をなだめ、静めました
母親の傍らにいる乳離れした幼子のように。
私の魂は母の傍らの乳離れした幼子のようです。(2)

 私たちは時におごり高ぶり、自分が何者かでもあるかのように自分を誇ろうとします。自ら賞賛を浴び、人々の注目を得ることを求めたりします。しかし、この詩編の記者は、そのようなことには興味がないと言い切ります。かえって彼は自分の魂を静め、主を仰ぎます。
 そしてこの詩編の記者は、自分は、「母親のそばにいる乳離れした幼子のよう」と言います。幼子はお母さんのそばにいると安心しています。夢中になって何かをしている時にも、時々、お母さんの存在を確かめます。そしてお母さんがそこにいるのを確認すると、また遊び出します。お母さんが見つからないと、不安になり、お母さんを一生懸命探します。
 私たちに平安を与えるのは主です。そして私たちは主がそこにいてくださることを知って安心します。他の何かがあるかどうかは全く重要ではありません。大切なのは主がそこにいてくださるということであり、私たちが主をそこに見いだして生きるということなのです。