詩編128編

妻は、家の奥にいて豊かな房をつけるぶどうの木のよう。子どもたちは、食卓を囲んでオリーブの若木のよう。
見よ、主を畏れる人はこのように祝福される。(3~4) 

 幸いな者とはどのような人でしょうか。この詩編の記者は「主を畏れ、その道を歩む人」こそが幸いな者だと言います。主を畏れることこそが、主の祝福にあずかる鍵なのです。そしてこの詩編の記者は主に祝福された人の姿として、その家庭の祝福について語ります。
 「妻は、家の奥にいて」・・・昔、たとえば遊牧民たちは、旅人をもてなすことを喜びとしていました。そしてその家の主人が基本的には、その旅人の相手をし、妻は奥や裏の別室で、料理をしました。そして基本的には人前には出ませんでした。そういった習慣もこの言葉の背後にはあるかもしれません。いずれにしても妻が、豊かな収獲をもたらし、潤いと喜びをもたらしている。また子どもたちが食卓を囲んでいる。もちろん、今は女性も男性以上に仕事をしますし、また子どものいない夫婦も多くいます。しかしいずれにしてもその家庭に喜びと豊かな交わりがあるさまがここには描かれています。主はそのような祝福を主を畏れるお互いに与えてくださるのです。