詩編126編

涙と共に種を蒔く人は
喜びの歌と共に刈り入れる。
詩 126:6 種の袋を背負い、泣きながら出て行く人も
穂の束を背負い、喜びの歌と共に帰って来る。(1~2)

 この詩編は「主がシオンの繁栄を再びもたらされた時」という言葉で始まります。その背景にあるのは、シオンの繁栄が取り去られた時代があったということです。おそらく、この詩編の記者はバビロン帝国によってエルサレムの町が廃墟になり、エルサレムの神殿が破壊されてしまった時代のことを思い起こしているのでしょう。それはイスラエルの民が主を捨て主に背を向けて歩んだから起こった事でした。しかし、それでも主は全くエルサレムを見捨てられたのではなく、その繁栄を回復させてくださったのでした。主はこの詩編の記者を笑いで満たし、喜びの歌で満たしてくださいました。主は大きなことをしてくださったからです。
 涙の日があり、泣きながら重い荷を担い、出て行った日もあったでしょう。しかし、主は、豊かな刈り入れの日をもたらし、喜びの収穫の日を来たらせてくださいました。涙の日、悲しみの中で汗をかいた日は決して無駄にならないのです。