詩編123編

見よ、奴隷の目が主人の手に向かうように
女奴隷の目が女主人の手に向かうように
私たちの目は我らの神、主に向かう
主が私たちを憐れんでくださるまで。(2)

 この詩編の記者は主を見上げ、じっと主を見つめています。この作者はそのことを奴隷たちがその主人の手を見つめているようにと言います。奴隷たちは、主人が命じることを聞き、それに従うことができるように、いつも備えていました。確かに主人や女主人が、言葉で指示を出して、それを聞き取って動くということもあるでしょう。しかしたとい大声を出さなかったとしても、主人を愛し、主人の気持ちを理解し、また理解しようとする奴隷は、主人の手を見ています。そしてその手のちょっとした動きから、主人が何を願っているのかを正しく読み取って、主人が願い、自分に期待していることに答えていきます。そしてこの詩編の記者はその主の手の小さな動きの中にも、主の憐れみを読み取るのです。
 私たちも主を見上げ、主を見つめて、主のみ思いを正しく受け取る者、主の愛の中にとどまり、主を愛して生きる者たちでありたいと思います。