詩編73編

しかし私には、神に近くあることこそが幸い。
私は主なる神を逃れ場とし
あなたの業をことごとく語り伝えよう。(28)

 この詩編の記者は危うく足を滑らせるところだったと言います。それは彼が悪しき者が悪いことを重ねながらも安泰なのを見て、彼らを妬んだことから来ました。確かに罪を犯し続けながら、何をやってもうまくいく人がいます。悪を行いながらも健やかで、何の苦労もなく、お金が貯まっていきます。それなのに、清い歩みをしている作者が様々な苦しみの中に置かれているのです。もう清い歩みなどやめてしまおうかとさえ、ふと思ってしまうほどです。
 しかし、この詩編の作者が聖所で彼らの行く末、生涯の結論を思った時に、彼の戸惑いやつまづきは溶けてしまったのでした。彼らの栄えはほんの一瞬であり、またたく間に消えてしまうものだったのです。
 そして詩編の記者は、神と共にあること、神に近くあることの幸いをもう一度取り戻したのでした。今、目に見える繁栄だけにとらわれてはいけません。私たちはもっと豊かで確かな祝福をいただいているからです。