詩編62編

私の魂はただ神に向かって沈黙する。
私の救いは神から。(2)

 私たちはいろいろな危機や困難の中にあって、主に叫びます。また祈りの手を上げ、自分の願いを主に申し上げます。そして主はそのような私たちの叫びを聞いてくださいます。主は私たちが祈るのを待っておられ、また喜んでくださるのです。
 ただこの詩編で、作者は「主に向かって沈黙する」と言います。もちろん、主は私たちの祈りの声に耳を傾けていてくださいますし、また声を出して、自分の信仰を告白し、主を賛美し、また主に祈るのもとても大切です。また、声を出すときには、誰に向かってというのも分かるのですが、「主に向かって」沈黙する、という言い方は少し不思議な感じがします。声は出ていません。しかし口を閉じて、心を主に向けるのです。私たちは時に、沈黙の中で、もう一度、主に信頼し、主を仰ぎ、主の約束を思い返すと言うことがあります。口を開いて、不信仰な言葉を並べ立てるよりも、一旦口を閉ざして、沈黙する中で、もう一度、主の言葉を聞くのです。