レビ記27章

主への献げ物として献げることのできる家畜で、主に献げたものは、すべて聖なるものである。(9)

 ここでは、特別な誓願、特別な献げ物をする場合の規定が記されています。たとえば自分や家族を献げるとか、家畜や畑を献げるということがありました。人を献げるという時には、その人をお金に換えてささげました。
 また、家畜であれ、家であれ、土地であれ、主に献げた後に、それを買い戻したいときには、それはすでに主の聖なるものですから、祭司の査定に五分の1を加えて支払うことになっていました。
 ただし、家畜であっても初子は初めから主のものであり、また収穫の十分の1も元々主のものですから、それらは自発のささげものにはなりませんでした。
 私たちがささげるのはある意味、きわめて当然のことです。主のものを主のもとに持っていくという意味があるからです。私たちは自分のささげものについて全く誇ることはできません。ただ同時に、ささげmのには義務ではなく、喜びをもって自発的にという側面もあります。主はそのようなささげものを喜び、聖別してくださるのです。