出エジプト記21章

しかし、その奴隷がはっきりと、「私は自分の主人と妻と子どもたちを愛しています。自由の身として去るつもりはありません」と言うなら、主人は彼を神のもとに連れて行く・・・。(3~4)

 二一章からは、十戒の具体的な適用が記されいます。イスラエルの民の中でも貧しさのあまり奴隷とならなければならない人が出てくるかもしれません。聖書は貧富の差があることを否定しません。また富は主の祝福ですが、富んでいる人が正義だとは言いませんし、また、主に従い、主に愛されている者でも貧しさの中に置かれることがあることを認めています。富を委ねられるということはそれだけ責任の重いことです。与えられた富を自分のためだけに用いるべきではありません。
 さてヘブライ人の奴隷は六年主人に仕えたら、七年目は解放されることになっていました。しかし、主人の下にとどまって仕えることを望む人もいました。彼は自分が今与えられている環境を喜び、また主人を愛していたのです。その場合には、主人は彼を神のもとに連れていき、その耳に錐で穴を開けました。彼は耳を「開かれた者」として、主人の下で一生仕えることを許されたのです。